101の仮説と君と

手帳や万年筆など、自由に。

イヤリングの購入と、それにまつわる思い出の話

イヤリングを買った。

「大人になれば半自動的に「レディ」になれる」と思っていた時期があったのを思い出した。

 

「レディ」とはなんだろうか。

Wikipediaの「儀礼称号」のページ、「イギリス貴族の儀礼称号」の欄に少し説明が書いてあるが、

簡単に日本語で言うところの「淑女」「貴婦人」が「レディ」に当たる。

[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%25E5%2584%2580%25E7%25A4%25BC%25E7%25A7%25B0%25E5%258F%25B7:title=儀礼称号]

 

私が幼稚園児くらいから、小学校を卒業する少し前くらいまでの間だったと思うが、親がバンダイ版のミュージカル「セーラームーン」のチケットを取ってくれていて、それを観劇するのが当時の恒例行事だった。

「あのキャラクターの演者さんも卒業するから、あなたも観劇するのを卒業しようか」と親から提案されるまで、ずっと観劇していた。今思えば、「その頃の私単純だなあ」と思う。今だったら、「次の演者さんが、私の中のイメージと違かったら見るのをやめる。だから、次の作品も1公演だけ見せて欲しい」って言うだろうな。

 

そのバンダイ版セラミュの公演のひとつで、「〜誕生!暗黒のプリンセス ブラック・レディ〜」というものがある。私は原作を読むより先にミュージカルで内容を知ったのだが、それはまあ良いとして。

 

その当時小学生、中学年くらいの年齢に差し掛かってた私は、ミュージカルを観劇する度に、所謂それを観劇する「対象年齢」と呼ばれるグループに入らない。と言う事実に目を伏せて「ああ、好きだけど隠さなきゃいけないのかな...」なんて、セーラームーンの衣装に身を包んだ「対象年齢」の女の子を見て少し劣等感みたいなものを感じたのをうっすら覚えている。

 

舞台が開幕し、話が進んでいくうちに、ちびうさが「早くレディになりたかった」と歌うシーンがある。

 

その時に、「ちびうさは『レディになれなかった』けど、結局はなれる。このミュージカルを見ている対象年齢の子たちだって、舞台にいるセーラームーンと同じ格好をして喜んでいる。ちびうさでもなければ、その対象年齢の子たちでもない【私】は一体何になれるのだろうか?」と、公演前に感じた劣等感が、「少し」ではなく、「だいぶ」になった。

「何になれるのだろうか?何にもなれるはずがない」「レディにもなれず、自分の好きなキャラクターにもなれない」と。謎思考なんだけど、「そのキャラクターを演じる演者」は(セラミュの場合バンダイ版に限り)許せて、それ以外(コスプレとか、他の版のセラミュ)は許せない。と思っていた時期があった。今もちょっと引きずっている。文字で書くと「本当に負の感情すげえな」って改めて思う。バンダイ版至上主義、というより、懐古の気持ちが強いんだろう。

 

それからというもの、一般的に女性が成長するに連れて身につけるであろう「可愛く/綺麗になりたい」という気持ちや、「化粧をしよう」という気持ちが私にはそんなに身に付かなかった。誰にも、何にもなれないから...という劣等感はいつしか思い込みになった。

 

そんなことを思い出しながら、私は今日も生きている。大変生き辛い。自らその「生き辛さ」を選んできている気がするので、今更どうにかしようとしても億劫になってしまっている。

 

生き辛さを、これからも見つめて生きてくんだろうな。アンパンマンマーチで軽率に心が崩れてしまった今日の私は、来年も、そのまた先も溜息をつく。

15

今週のお題「下書き供養」

 

「予想は裏切れ。期待は裏切るな」

 

2年前位まで、よく通っていた喫茶店の店員が言っていた台詞だ。特殊なコンセプトのその喫茶店の、その喫茶店店員で結成された劇団の劇団員でもあったその店員はストイックで「自分の魅せ方」が凄く上手い人だった。

 

突然その喫茶店の店員はお店を辞め、今はフリーで歌を歌い、演劇をし、多彩に活動しているようだ。...「ようだ」、というのは今はさっぱり直接お会いしたり応援したりしていないからなんだけども。理由は複数ある。

 

1.自分に余裕がない。

2.時勢

3.「その人の活動を自分が応援する事によって、私とその人は本当に幸せになるのか?幸せとは?」と考えてしまう。

...などなど。

 

 

っていうところで、下書きが終わっている。

考察するのを諦めたのか、上手く言語化できなかったのか、他の事をしている内に書くのを忘れたのか...。理由はもう思い出せないけど、いいお題があったので昇華させようかと。

 

でも、久々に演劇やライブに行くのもいいかもしれないね。...行けたら、と言ううちは行けないんだろうけど。

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新年そうそう言う話ではないのは分かってるけど、それでも吐き出す。

 

生きるのしんどい。

「怖い」と言うより、漠然としんどくて、鬱々としている。

 

...アンパンマンマーチをうっかり聞いてしまって、心を抉られてしまったからそう思っているんだけど。本当はアンパンマンマーチだって、「人の心を抉ろう」という意思は全くないのは分かってる。この様な話は何回も機会がある度に仲のいい人に話をしているんだけど、最近更に酷く考えてしまうので、その度にその人に話していたら相手が不健康になってしまう。良くない。

 

上手く生きれるタイプの人間であるとは毛頭思ってないけど、「ここまで生きるの下手くそなん?」とは思う。どうやって生きたらいいんだろう、ね。

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2021年が始まってしまった...嘘だそんな事...!

 

去年はコロナで始まり、コロナで終わる1年を過ごしていた。その生活をしていたのは私だけではないけど。

 

受験などで自分の身の回りの生活環境が変わると、途端に行き辛さなどを感じていたなあ。などと過去の事を思い返していた。去年や一昨年もそうで。

 

一昨年の11月に母が入院し、昨年の夏頃退院した。一昨年の冬からジェットコースターのように駆け抜け、「あっという間だったなあ」という記憶しかない。いや、ほんとにあんまり覚えてないんですよ。嫌なことは何個か覚えてるけど。

 

今年は何も悪いイベントがない年であればいいなあ。とは思うものの、悪いイベントは突発で起こったりする。考えても仕方のない事なのだろうね....。

 

今年の目標は「何かしらログを残す」にしようかと。「日記」と言うと「毎日書かなくては」と言う使命感が出てきてしまうので挫折する(前例あり)。予定を書く手帳だとほぼ白紙になってしまう。仕事の事を書くとネガティブ満載になってしまって、そもそも手帳なりを開かなくなってしまう(前例あり)ので...。良いことだけ書こうとするのも白紙になったりする(前例あり)。「何したか覚えてない」をなるべく減らしたい。

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今年の上半期ももう過ぎ、あっという間に7月も後半。私は今年上半期をいつの間にか生きてしまっていた。生き辛い、と言いながら。(毎日そう言ってるじゃん、とは自分でも思ったけど、一旦横に置いておいて...)

 

日々生きている上で、生き辛いというと「あなたは一人じゃない」とか。「生き辛いのはあなただけじゃない」と言われることがある。たまたま私の周りにそういう人がいる機会が多いだけかもしれないけれど。皆言われてることなんだろうか?身近にそれを聞ける人はいないのだが。

 

でもストレスとか受け止める器はそれぞれなのに、「生き辛い」とかっていう言葉「だけ」にフォーカスされがちなのが、尚更生き辛くさせる要因だったりする。だから、「生き辛いのはあなただけじゃない」と言われると、「そうだね」とも思うけど、「え?なんて?もう一回言って?」ってなる。レベル感とか、感じ方とか、その人が持つ「生き辛さとかストレスを受け止める器」の大きさによるのにね、って。それでも、そのレベル感とか感じ方にフォーカスすると、皆それぞれ生き辛さを持っているから、社会が回らなかったりするのかなー。など。ぼんやり思ったりしている。

 

母が昨年の11月半ばから入院して、先月6月の中頃帰ってきた。大体退院してから1ヶ月経つのか...家庭環境もがらりと変わった。ずっと健康である保証はないのに、何故か「親は健康的で死なない」と思っていた。2n年生きてても、何故かそう思っていた。比較的家庭環境が良好だったのから、そう思うのだろう。

 

親族の死とか、家庭環境の変化とか。

変えられるものは変える勇気と、変えられないものを受け入れる落ち着きを手に入れなければ生きていけない。というのは分かってはいるけど、中々上手くいかないところで。

 

溜息。

stay home

お題「#おうち時間

 

緊急事態宣言が解除される地区が増えている。

私が住んでいるところはまだ解除されておらず、「今日の感染者数は○人でした」と、淡々と感染者数と病院の受け入れの報道。それに少し、別の話題がようやく少しずつ報道されるようになった。

 

「おうち時間」というワードは3ヶ月程しか世の中で流行っていないのに、年単位で聞いていたのではないか?と思う位に聞いた気がする。

 

今までにあったはずなんだけど。「おうち時間」って単語と同じような意味を持つ言葉。...引きこもり?古いか。ニュアンス違うな。自分の語彙力が貧困な所為もあって、「あったはずだけど出てこない」ものが増えてきた気がする。

 

「おうち時間」「不要普及の外出を控えて」なんて言われたところで、出勤しなければならないしリモートワークにもならない会社に勤務しているので、「はいはい」といった顔で日々を過ごしている。もう少し生きやすい世界であれ、と思う。偉そうに、と思われるかもしれないが。

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母が入院して半年近く経つ。

「日本人の寿命は伸びてる、というし、両親もそれに漏れず健康的に長生きをするもんだ」と思っていた。そうではないという事を、身をもって知った。

 

目まぐるしく過ごしていく中、倒れた日から今日までの記憶があまりない。何やってたか、何食べたか覚えていない。いや、ご飯はちゃんと食べているし、買い物だって行く。家に母がいないという現実にも慣れた。...今度は「母が家にいる」という現実が不思議だと感じる日が来るのだろう。

 

上手く文章をまとめようとは思うものの、上手く言葉が出てこない上に、感情を表す事がそこまで得意ではない(かといって苦手でもないはず...)のでしばらく言葉を書いては消して...の繰り返し。本を読めば語彙力と文章の書き方などは知れるが、「それを自分のものにできるか」はまた別の話だ。