101の仮説と君と

手帳や万年筆など、自由に。

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今年の上半期ももう過ぎ、あっという間に7月も後半。私は今年上半期をいつの間にか生きてしまっていた。生き辛い、と言いながら。(毎日そう言ってるじゃん、とは自分でも思ったけど、一旦横に置いておいて...)

 

日々生きている上で、生き辛いというと「あなたは一人じゃない」とか。「生き辛いのはあなただけじゃない」と言われることがある。たまたま私の周りにそういう人がいる機会が多いだけかもしれないけれど。皆言われてることなんだろうか?身近にそれを聞ける人はいないのだが。

 

でもストレスとか受け止める器はそれぞれなのに、「生き辛い」とかっていう言葉「だけ」にフォーカスされがちなのが、尚更生き辛くさせる要因だったりする。だから、「生き辛いのはあなただけじゃない」と言われると、「そうだね」とも思うけど、「え?なんて?もう一回言って?」ってなる。レベル感とか、感じ方とか、その人が持つ「生き辛さとかストレスを受け止める器」の大きさによるのにね、って。それでも、そのレベル感とか感じ方にフォーカスすると、皆それぞれ生き辛さを持っているから、社会が回らなかったりするのかなー。など。ぼんやり思ったりしている。

 

母が昨年の11月半ばから入院して、先月6月の中頃帰ってきた。大体退院してから1ヶ月経つのか...家庭環境もがらりと変わった。ずっと健康である保証はないのに、何故か「親は健康的で死なない」と思っていた。2n年生きてても、何故かそう思っていた。比較的家庭環境が良好だったのから、そう思うのだろう。

 

親族の死とか、家庭環境の変化とか。

変えられるものは変える勇気と、変えられないものを受け入れる落ち着きを手に入れなければ生きていけない。というのは分かってはいるけど、中々上手くいかないところで。

 

溜息。