101の仮説と君と

手帳や万年筆など、自由に。

イヤリングの話

この間、人生初体験の葬式〜告別式があった。

 

自分が喪主な訳ではないし、大人の対応を求められた訳ではない。気が楽だった。「葬式ってこんなもんか」って、人ごとのように感じていたし、私を含め孫が4人いる中で、私だけが泣かなかった。自分で自分を「非道なのかもしれない」と思ったけど、それでも悲しくないものは悲しくないのだ。仕方ない。そんなもんだと思って過ごしている。いずれ人は死ぬ。分かっていたことだし、それでも私は生きる。

 

ただ、分かっていたことでもあるし、以前から両親から言われていた「あの子は外面が良い」の一言がいまだにひっかかる。外面が良いことの何がだめなのだろうか。冠婚葬祭の時にしか会わない親族に対して外面が良くても無意味だと言いたいのだろうか。...まあそうだろう。でも仕方ない。無駄に私の外面の良さが働くのだから。逆に愛想が悪かったら悪かったで文句を言われるのだ。「愛想よくしろ」と。感謝して欲しいところでもあるのだが、中々伝わらないな。

 

さて、前置きが長くなった。

イヤリングの話。

普段イヤリングをつけない為、耳朶が痛んだ。特に2日目の告別式。あの、イヤリングの後ろのねじ?を一番緩めても痛い。「しなくても良い」とはされていたものの、無理やりつけさせられた上、痛むので腹立だしさが倍増したところで。「しかし、あまりにもアクセサリー類をしなさすぎでは...?」と思うきっかけにもなったので、イヤリングを買い物のついでに見るようになった。たまにはつけようかと思う...たまには...また耳が痛くなるのは勘弁願いたい。